20年近く前になりますが、会社で、ある年上の男性から、『言葉を振り回してはいけない』と優しく注意されたことがありました。男性は、同じ会社でも部署の違う存在でしたが、当時、躍起になっていた私に、『事情はわかるけど』、『正しいから、余計に藤塚さんの言葉は刃になるから』と。
事情が出来る前の私は、どちらかと言うと、のんびりしていて、世の中に積極的に向かう姿勢に乏しい性格でした。
当時は、肩に力が入り、随分、切羽詰まったやり方をしていたように思います。自分の中の、どこにこんな力があったのだろうと驚きつつも、支えのない背中の寒さを、とにかく気力で乗り越えようと、ただただ必死でした。周りなど見えていません。
彼は、振りまわしている私の刀を、そっと、戒めてくれました。はっと、我に返った感じ、今でも、覚えています。
サラリーマン時代、困ったのは、強いものが自分に向ける刀でした。
ルールに従えば、困りました。随分な逡巡ののち、決めたのは、
相手の人生が変わるような、刀は降らない。振り下ろす前に、鞘へ納める。
相手に、切られたら?にも、ルールを設けました、傷が、深くなければ、他に生きる術があるなら、切られとく。
生きていると、びっくりするような不条理に出会ってしまうことあります。
外で働く世界、旅は長いです。
時々ある、悔しいこと。ポケットに入れたルールを握りしめている日もありますが、慣れはしないけど、ジタバタを、少し流せるようになった気もします。
沖に流して、沖に流して。
2005年のブログ記事。支えに気が付いていませんでした。
支えて、もらってたのに。
気持ちの切り替え、だんだん上手になってきたかな。
おとなになるって、修行です。