谷崎 潤一郎の『京羽二重』の一節。
『「・・・うちも舞はしてもろたんどつせ」となる。東京だつたら「舞はされちやつた」と云ふところを、「舞はしてもろた」と云ふところが京都である』
という一節。
谷崎文学のなかで、私は、このお話が好きだけれど、いつのころからか、最後の一節の、言い得て妙(いいえてみょう)を、毎回、どうにも変な顔になってしまって、読み返ス。
伝わりづらい話だけれど、
時々、自分も今日を、『今日はパソコンの不具合、調整設定させてもろたん』とか、言ってる。
スピードを問われる。効率を求められる。判断を、決断を、いつもにないスピードで、何かを切り分けて、かきわけて、わけいって、・・・。
あわわわわわ、していたのに。
それでも、口からでるのは、
今日は、よぉ動いたし、エンジンフル回転で、よぉ頑張ったん。えらかったん。
それは、のんびりに、聞こえてしまうん。
口に出すと、・・・せやねん。
時々、それは、いけずにも聞こえるらしい。
うちは、なんにも、変わってへんのに。
追伸
なんか最近、落ち込んでる?
NO!
やっぱり、何か、変化、変化、成長、成長なんだということに、シテ。
燕のようなスピードを、目指しては居る。














