私より4つ年下ということであれば、当時12歳。弟や妹があれば、そのおじいさんにとっては、孫かわいくて仕方ないという年頃だったんだろう。
新聞の片隅の記事、京都の老舗の中華料理店の建物の記事が目に留まる。今の社長さん、52歳。
そう、あれは、40年近く前の話。
友達と映画の帰り、今出川のバス停で下車しようとしたところ、揺れるバスにつまずきそうに歩かれる高齢のおじいさんを見かけた。あっと思った瞬間、前に倒れられそうになったので、抱き着く感じで支え、下車を手伝った。
聞けば、お孫さんに会いに行く途中だとのこと。北野天満宮方面のバスに乗りたいということで案内しながら、
『あんた、どこの子や』と聞かれた。
今思うと、自分の年齢でいうと(当時16歳たぶん)、学校名とか言うんだろうけど、家の近くのことで、店の名前を伝えた。おじいさんがバスに乗るところまで見届け、家路。けれど、不安が急に。『ぼけたはったら、どないしょう』
帰るなり、祖父母に伝える。『うち、ぼけたはる人のバスの乗り継ぎ手伝どうてしもたかも』。困惑する祖父母。話を余計、難しくさせてしまったかも。不安つのらす三人。
数日後。学校から帰ると、祖母が、『かなちゃん、こないだ、バス乗り継ぎ、てっとうたって話してたけど、秘書の方が、”菓子折り”持って来られたよ』
祖母祖父、そろい、三人で話す。祖父曰く、その方、京都でも有名な老舗の中華料理屋の会長さんだったとのこと。そして、菓子屋に届けられた、追いつきようのない、祇園の有名菓子店の菓子折り。忙しい夕方の時間は、一旦、解散。
店の後、夕飯の際には、笑い話となった。祖父の口癖、『ほんま、かなちゃんは、どもならん』。皆で、有名菓子店のお菓子いただきながら、苦笑いとなった。
あれから、40年。新聞に掲載された方がその方は、お孫さんの一人なんだろうと想像しながら、”菓子屋に菓子折り”と『うち、ぼけたはる人のバスの乗り継ぎ手伝どうてしもたかも』の記憶。
全然、違う意味で、記事、見入る。