毒も吐きたいので、こっちにします。
母の病院の付き添いでした。家を6時半に出て、となりの、となりの、となりくらいの町へ。
2時間くらい待って検査、2時間くらい待って診察、1時間くらい待って支払い、一時間半かけて、帰宅。もう、今日は、終わってました。
随分むかしの話ですが、同級会に出席したとき、”親との同居をしないスタイルがトレンディ”に、驚いたことがありました。今日は、ちょっと、そんな同居しない選択をした彼らを思い出し、『ホラミタコトカ』。誰も言ってないのに、聞こえる。
病院通いは、数年前、父の時も経験しています。当時は、病も重かったのと、親が病気になるなんて、はじめての経験で、気も張っていたので、なんとか過ごせました。私の仕事は自営なので、営業もしながらって、今思うと、どうやって、暮らしてたんだと思います。私隊長、どうやって、あの日々、過ごせたんですか?
母は、実の母なので、近しいから?女同士だから?性格が、あまりに違うから?母の性格が特異だから?私の性格が、悪いから?
帰ってきた夫の、食べ物の好き嫌い発言あたりでは、気が付くと、なぎなた、振り回してました。
他である。手助けを、必要としている人に出す、手であって、道具である。
『感情の判断はどうしたらいい?心境の分別はどうしたらいい?』ado。
どうやって来たんだっけ?
『子供をみる本能はあっても、親をみるDNAはない』。ネットで見かけた記事。
そんな、ことか。でもないか。
にしおかすみこさんのエッセイの、読み漁り。
なるように、どこかへっということか。
頑張ってるねえって、ホメられて、すくわれるほど、子供ではない、55歳。
聞いてもらってスッとした、なんて、ない。話せるほど、まとまってないんだから。
むしろ、話せるようになったら、回復だ。
っと、少し前の心の動き、まとめました。
めん、めん、めんどくさっ。いや、すまない。こんな日が、あったって話です。
追伸
思い出したことが。父の件の時、よく鼻歌をうたっていた。理由は、若いころ、会社の先輩が、つらい残業の時には、鼻歌を歌うといいと言っていたから。そんな気分ではなかったけれど、脳が楽しい気分になって騙されるので、確かに効果あった。 あと、経済活動に追われていた。(今もか、ハハハ)手元に集中やね。